大溝城跡
2011.01.21
こんにちは!
今日は高島市にあります「大溝城跡」をご紹介します。
石垣に囲まれた小高い森が、大溝城の本丸跡です。
大溝城は織田信長の甥である織田信澄が信長の命により新庄城より移ってきて築いた城です。
信澄は兄である信長によって誅された弟・信行の忘れ形見であった。
大溝城は、琵琶湖とその内湖をたくみに取り組んで築いた水城で、縄張りは明智光秀と伝えられています。
天正10年6月、明智光秀が本能寺に謀反を起こすと、光秀の娘婿であった信澄にも嫌疑がかかりました。
信長の三男である信孝は、丹羽長秀と謀って、四国遠征途中にあった信澄を、
大坂城内二の丸千貫櫓に攻め込んだため、信澄は自害したと言われています。
そのあと、城主が入れ替わり、天正15年に秀吉の九州攻めにおける功績を認められた京極高次が入城します。
高次は浅井三姉妹のうち、二の姫のお初を妻としていました。
高次の母は浅井長政の姉にあたるので、2人はいとこ同士だったそうです。
当時、高次・お初は結婚したばかりであり、この大溝でおよそ3年ほど新婚生活を送っていたとされています。
こちらもお江のゆかりの地として訪れて頂きたいです♪
ロテル・デュ・ラク 藤田