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菅浦の歴史

2009.05.06
数々の悲劇を秘めた奥琵琶湖の隠れ里
 奥琵琶湖の最も北、入り組んだ入り江が連なる葛籠尾(つづらお)半島に菅浦の集落があります。山と湖に囲まれ、孤立したその地形ゆえ、遥か昔から隠れ里として数々の歴史を見てきました。奈良時代、恵美押勝(えみのおしかつ)の乱で道鏡や孝謙上皇に負け、廃位になった淳仁天皇も住んでいたといわれており、須賀神社の裏山に淳仁天皇の御陵という塚が残っています。
 昭和46年に奥琵琶湖パークウェイが開通し、周辺道路が整備されるまで、里人の交通手段は昔ながらの船が主でした。現在、約90軒ほど集落が残っていますが、今も隠れ里の風情をしのばせる、閑静でのどかなたたずまいです。
 菅浦の村に入る東西の道には、四足門(しそくもん)と呼ばれる茅葺きの門が残っています。昔は、村へ入る外来者はここでチェックをされました。
 また、古文書も多く残されており、「菅浦郷土資料館」には、鎌倉時代から明治のはじめにかけて作られた村落や漁村生活を記した菅浦文書、絵画など、菅浦に関する資料が展示されています。
【農山漁村体験交流施設「Ranta(ランタ)の館」】
 菅浦にある、農業や漁業、木工などの体験施設。湖上遊覧、漁業、農産物収穫、木工クラフトなどが体験できます(要予約)。また、国民宿舎つづらお荘をはじめ、地元の民宿に宿泊する体験宿泊も斡旋。
 展望風呂や展望露天風呂もあり、予約なしでも入浴できるため、ドライブ途中に立ち寄る人も多くいます。

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